miyamotoSion’s Obsessions

宮本紫苑がTwitter ( @miyamotoSion ) に書ききれないことを残しておく場所。

「考える」ということ

自分で言うのは非常におこがましいことではあると思うが、付き合いの長い友人はわたしのことを「思慮深い人」「自分なりの考えを持っている人」という好意的な見方をしてくれている人が割と多い気がする(気がするだけかも)。
一方で、会社でのわたしの扱われ方は「頭を使わない人」「気の回らない人」ということになっている。
このギャップは何なのか。



わたしは元々、考えて考えて考え抜いて動くというタイプではなく、割と直感で動くふしがある。
そこまで根を詰めることがないので、自分なりに考えて動いていても、考え抜いて動くタイプの某先輩にとっては「考えが足りてない奴」にしか映らない。
というのも、いくら考えても考えがその某先輩の用意した及第点に並ぶかそれ以上でないと「何も考えてない」という扱いになるからである。そして、わたしの考えが及第点を越えることはない。
考え抜くタイプの人にかなうはずがない。
現状、わたしの仕事は基本的にその某先輩の管理下にあって、割と単独で仕事にあたることが多いので、他の同僚から見たわたしの仕事ぶりは、某先輩とのやりとりを通してしか知られることがない。つまり誰かと一緒に仕事をすることがほとんどないので、傍目からはわたしが怒られてるか馬鹿にされてるシーンばかり目にするわけである。
結果、職場全体から「考えが足りてない人」「出来の悪い人」というレッテルを貼られる。



レッテルというのは怖いもので、まるで某マンガの"生き字引の筆"よろしく、貼られた通りになってしまう。周りからそういう扱いを受けると、いかに足掻こうと本当にそうなってしまうのである。この感覚はおそらく経験者にしか分からないであろう。
上司あたりから「挽回してみせろ」みたいなことを言われることもあるが、とても自分ではがせるものではない。順当に出世してる人には解りようのない感覚である。



いつの日からか、わたしは仕事で頭を使うことを放棄した。
だって、及第点を用意される時点で、わたしが考えるまでもなく答えが存在しているのだから。
今は仕事で「考える」ことが苦痛でしかない。



なんで睡眠時間を削ってまで、こんなことをぐだぐだ考えてるんだろう。
もっと直感や五感を信じて生きられたら、どれだけ楽なことか。