「徒然に書く」ということ
「書く歓び - おとなの小論文教室Lesson445 - ほぼ日刊イトイ新聞」
今日の気になった記事。
ほぼ日からのスクラップばかりですいません。
今までに何度か、わたしがこうやって徒然に書く理由について触れたことがあるような気がしますが、こういうのを読むと、また色々と考えさせられます。
通勤途中。入浴中。ルーチンワークな仕事中。
そういう時に考え事をすると、頭の中をぐるぐると思考が回ることがあります。
で、そのぐるぐる回る思考は、ほとんどの場合はループするだけで、形にならずに終わってしまいます。
それを一度、形にしてやるのが、この「書く」という行為。
完全でなくてもいい、現時点での思考の行き着いたところを、無理やりにでも形にしてやる。
次に思考のループが始まったときは、それを踏み台に、一歩上へ行ける。
これを繰り返せば、ループでなく、らせんになる。
せっかく苦労して文章を書くなら、誰かに見てもらいたい。
内容は、主観的で感情的なものではなく、客観的で論理的なものであるべきだ。
だから、プライベートな日記ではなく、パブリックなブログに書く。
これがわたしの「徒然に書く」ということへのスタンス。
しかし、「徒然に書く」というのは、自分をさらけ出すということ。
そして、時間が掛かる行為である上、時として苦痛を伴う。
その割に、見返りはほとんど無いに等しい。
そう考えると、「徒然に書く」というのは、Mの属性を持ったひとにしかできないことだと思う。
今回ピックアップした記事は、その「見返りはほとんど無いに等しい」と思っていたところを補完してくれるもの。
この自虐的な行為の裏には、無意識にこういう歓びを求めているのかもしれないなぁ、と。
書くことによって得られるもの、
書くことによってしか得られないものは、
正確で深い、自分への理解だ。
書くことで、いつか、理解の花が降る。