miyamotoSion’s Obsessions

宮本紫苑がTwitter ( @miyamotoSion ) に書ききれないことを残しておく場所。

ニュースを見よう

仕事がルーチンワークに入ると、やってることと全然関係ないことが頭の中をぐるぐる回ります。
今日も回ってたのですが、今回は「ニュースを見ること」について。
あ、ちなみに特定個人について言うわけではないので、気を悪くしないでください。



わたしの周りには、ニュースに全く関心のない人が数人います。
で、そういう人には、ついつい「ニュースくらい見とかなあかんで〜」と促すことがよくあります。こういう「ニュースを見る」とかいうのは習慣なんで、一念発起しないとなかなか難しいかもしれません。



なんで、こうやって人に勧めるのかというと、自分が3年前まで全くニュースを気にしない人だったから。
そして、ニュースを見る習慣をつけてから、視界が広くなったと実感できるから。
上司に言われて始めてみたのですが、それがなかったら今もやってないかもしれません。



今だから気付けます。
ニュースを何も知らないということは、自分の目の届く範囲のことしか知らないということ。
つまり、井の中の蛙です。
まぁそれはそれで生きていくには問題ないので、ニュースを知らない生き方もアリでしょう。
わたしが引っ掛かるのは、別の問題。



わたしらの生活は、経済社会の上に成り立っています。
ニュースを知ろうとしないということは、生活基盤である経済社会のことを無視して生きる、ということ。つまり、他人に全て委ねて生きる、ということになります。
それでも生活するには問題ないですが、自分の生きる世界を見ない、まるごと他人任せ、というのは自立した一人の大人としてどうよ?と思うわけです。
上司からのきっかけは「新聞を読むのは社会人のたしなみ」と言われたことなのですが、まさにその通りだと思います。



自分の目の届く世界が分かれば十分だ。
自分の周りが良ければよい。
・・・というのは自己中心的で、閉鎖的で、視野が狭すぎる。
そういう人がいると、昔の自分を見ているようで、なんだか悲しくなるのです。



というわけでみなさん、少しでもいいんでニュースを見ましょう。
新聞、テレビ、ラジオ、インターネット。等々。
媒体は手の届くところにあるんですから。