miyamotoSion’s Obsessions

宮本紫苑がTwitter ( @miyamotoSion ) に書ききれないことを残しておく場所。

気持ちが入っていれば

気持ちが入っていなければ、どんなにいいものでも、大した価値にはならない。
気持ちが入っていれば、多少お粗末でも、評価してもらえる場合がある。
今日のニュースを聞いて、そんなことを思いました。



そのニュースとは、「定額給付金について総理が方針転換」。
政治の話題に触れるたびに、コメント欄が荒れそうでびくびくしてるのですが、また書きます。



定額給付金」という政策自体は、その政策だけを見れば、一長一短というか、支持・不支持が半々くらいになるような気がしています。
国民全員に配るから、問題になってる貧富の差には影響しないはず。欲しがる人も要らないと思う人もいるだろうから、まるっきり支持率集めかと言えばそうでもない。政府にとっては、大規模な財源を絞り出さないといけないから、あまりやりたくないことだと思う。
じゃあ、この「定額給付金」が、やたらと評判が悪いのはなぜか。



総理の気持ち。
「高額所得者は辞退していただきたい。」
前々から思ってたんですが、この発言があるということは、この定額給付金は「施し」なんですよ。
素直に受け取る気持ちになれないのはそのせい。
元々は「施し」ではなく、「経済政策」のはず。



「生活が苦しい方、この程度じゃ持ち直すところまではいかないでしょうが、経済が好転するまで、これでもう少しだけ踏ん張ってください。高額所得者の方、ぜひ受け取って、すぐに使ってください。無理にでも使ってください。消費が増えれば、雇用が生まれるんです。」
くらいの気持ちを見せてもらえたら、この政策は、みんなが支持すると思います。
今さら方針転換したところで、支持は増えないでしょうけど。



で。
気持ちが入っていなければ、どんなにいいものでも、大した価値にはならない。
気持ちが入っていれば、多少お粗末でも、評価してもらえる場合がある。
そんなことを思ったわけです。



これって、「同人誌」なんて典型例ですよね。絵は大して上手くなくても、描き手の「好きすぎてたまらん!」という気持ちが乗り移ってるもんだから、それに感化されるという。
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ



日本の政治に足りないのは「愛」なのかもしれません。え?飛躍しすぎ?