miyamotoSion’s Obsessions

宮本紫苑がTwitter ( @miyamotoSion ) に書ききれないことを残しておく場所。

「普通」じゃない

虚ろだと、こんな思考がぐるぐる回ります。
芯にあるのは単なる愚痴なんで、ここから先は見ないことをおすすめします。





最近、某人に「普通にやってくれ」「なんで普通にでけへんの」なんて小言をよく言われる。



「普通こんなレイアウトせぇへんぞ」
「まず普通に作ってくれ。良くしていくのはそっからや」
「企業におるんやから普通が分からんようじゃ困る」
「ええ加減普通になってくれ」



「普通」ってなんですか?
「普通」ってどこで教えてくれるんですか?
「普通」って誰が決めるんですか?
「普通」って知らないと恥ずかしいことですか?
「普通」じゃないとだめなんですか?



わたしは、「普通」を意識しすぎたことはないつもりだし、「普通」になろうとしたこともない。「普通」がいいとは思わないし、「普通」が駄目だとも思わない。



確かにわたしは、この歳で「普通」知ってるはずなのに知らないことというのが「普通」より多いかもしれない。視野が狭いから、「普通」の生活をしてても気付かずに素通りしてしまうことが多いんだと思う。そして「普通」を知らないことで迷惑がかかったり、恥ずかしい思いをすることもある。
けど、それによって得た「普通」じゃない部分を評価してくれるひとがたくさんいて、その人たちに支えられて今まで生きてきた。
今になって「普通」になれ、「普通」にやれと言われても、「普通」が分からないし、もし「普通」になれたとして今より納得のいく生き方が出来るとは思わない。



今の自分のままで、今の自分を伸ばしながら、周りに迷惑をかけずに生きていくにはどうすればいいんだろう。
少なくとも、今のままでは周りに迷惑が掛かっているのは確かだ。